7 月 10 2010
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6 月 19 2010
紫陽花
梅雨本番を迎え、街はいたるところで紫陽花が咲き誇っています。
紫陽花には派手さはありませんが不思議な魅力がありますね。
あじさいは日本が原産で、ガクアジサイ。改良されたものがセイヨウアジサイです。
アジサイ(紫陽花、英名・学名:Hydrangea)とはアジサイ科アジサイ属の植物の総称で、学名は「水の容器」という意味で、「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」ということもあります。水と深く関わっているのですね。




wikipediaより抜粋
「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われています。また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックか)に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれています。
万葉集時代
言問はぬ木すら味狭藍 諸弟(もろと)らが 練の村戸(むらと)にあざむかえけり(大伴家持 巻4 773)
紫陽花の八重咲く如くやつ代にを いませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)(橘諸兄 巻20 4448)
平安時代以降
あぢさゐの 花のよひらに もる月を 影もさながら 折る身ともがな(源俊頼『散木奇歌集』)
夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐの よひらの露に 月もすみけり(藤原俊成『千五百番歌合』)
あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の添ふかとぞ見る(藤原定家)
5 月 04 2010
博多どんたく2010
どんたくに行きました。
今回は5/3の午前中しかやらない”土居流”のどんたく見物です。
観光客にはあまり知られていませんが、コンパクトな”土居流”のどんたくは好きです。

かわいいでしょ!
博多どんたくは、元々は「博多松囃子(まつばやし)」と言って、正月の年賀のお祭りでした。700年以上も続く伝統行事です。
博多どんたくと名称を改称したのは明治時代中期のことです。
松囃子が国の命令でダメだということになったんです。お囃子が富国強兵の時代に馴染まず、全国的に廃止されていく中、どんたくとして伝統を守ったもの。
それは、「オランダ語の休日を意味するゾンタークを博多なまりのどんたくとして新しく始めよう。」と『博多どんたくと』改称し「松囃子」を続けた先人の知恵でした。

毎年来てくださる沖縄の方々が とり を務めます。

ん?何?調べました。
預かり笹
預かり=商品引換券
写真では分かりませんが、持っていくとぶら下がっている預かりと引き換えにぜんざいだとかラムネなどがもらえます。子供たちに配るものです。

迫力ありますよねえ。

子供が泣いています。そりゃあそう、怖い!

先回りしました。
これから、夏に向けて”山笠”がはじまります。
博多は祭だらけです。
4 月 15 2010
京都 てっさい堂
京都 てっさい堂

古伊万里の器が所狭しと並ぶお店。
何時か行くことができたら、一度寄ってみたいと思っていたお店です。
お店に入ったら、手荷物はお店においてあるカゴに置くのが鉄則。
器に当って、壊れたら大変。
両手でジックリ見て、選んでいただきたいとの配慮からです。
いろいろ見たのですが、形と器の深さ、色合いに一目ぼれでした。
いつも、器を選ぶ基準はお料理を盛ったときのことを想像して決めます。
胡麻豆腐
ナスの味噌炒め
ケーキ
わらび餅 etc.
落ち着いた朱の色合い、どんなものを盛ってもあいます。
お店からいただいた、総本家河道屋のそばぼうろもとっても美味しかったです。
京の都の貴族も使ってたかも知れない器、龍馬さまも、、、、
歴史を感じさせる器です。
10 月 04 2009
白川水源に行ってきました。
9 月 22 2009
白川水源 水の音楽
白川水源の入口の物産館「自然庵」で9月30日まで、パイプ内に水滴が落ちた時の音で演奏する小型の楽器「水精(すいせい)」が展示されています。
2オクターブ半の音階で、24曲ほどの音楽を奏でてくれるとのことですが、どんな音が出るんでしょう?
「水滴を落として音階をつくる楽器」として特許を得ているそうです。
南阿蘇村湧水群の「平成の名水百選」選定を記念して講演会を開催
やさしい音を想像します。
水の音楽 ORIGINAL LOVE
彦☆星(曲:輝く水)Relaxing Healing Music
箏演奏 「水の変態」
9 月 01 2009
水入らず
「水臭い」で少し触れましたが、その他にも語源説はあるようです。
「水入らず」とは内輪の者だけの集まり、他人を交えないことで、「夫婦水入らず」「親子水入らず」などと用います。
①水入らずは、質が違ってしっくりと解け合わないさまを「水と油」というのに対し、親しい者だけか集まった状態を、水が油に入らない状態から言うようになったもの。
つまり「水入らず」で、水が混じっていないと言っているものは油で、油が「内輪の者」「親しい者」、水が「他人」をあらわしています。
②「水臭い」でも触れましたが、酒の席での作法に由来する説もあります。他人に盃を渡す時には水で洗ってから渡す「盃洗」という礼儀がありました。この盃洗をしなくてもいい親しい関係が水入らずというもの。
③相撲の用語に「水入り」があります。戦いが長引いた時、両力士の疲労が限界と判断されると勝負が一時中断され、力士の体力の回復を待つ措置がとられます。
「水入らず」という位ですから「水入り」の必要もない、つまり、疲れ知らず・他人の割り込む余地のない程の仲から「水入らず」といわれるようになったとの説もあります。
8 月 22 2009
水臭い
水臭いとはよそよそしい、他人行儀という意味で使われます。
この「水くさい」の語源を調べてみると、2つの語源にたどり着きました。
①水臭いは、食べ物や飲み物の水分が多く、水で薄められていて「味気ない」「まずい」を意味します。「水くさい」はもともと、料理を評した言い方で、気の抜けたようでまずい料理をこう呼んだのです。
そこから比喩的に人に対しても用いられるようになり、愛情の薄いこと、親しい間柄なのによそよそしいことを「水くさい」と言うようになりました。
②お酒を酌み交わす際、酒杯をやりとりします。日本ではその時、盃洗(水の入ったどんぶりのようなもの)で杯を洗ってから相手に差し出したのです。
それが礼儀なのですが、盃洗で洗った杯で酒を飲むと、酒に微妙に水の味が残り、「水臭い酒」になります。このことから他人行儀なことを「水くさい」というようになったという説もあります。
遠慮のない間柄だと、盃洗の水を通さずに杯が行ったり来たりするようになります。この様子が「水入らず」です。盃洗の必要のない親族等との酒席は「水入らず」と呼ばれました。
親しい間柄なのに盃洗すると「水くさい」と言われることになります。
また、水で薄めた酒をいう場合もあり、それらがいつの間にか、人の情を表すまでになったのでしょう。
8 月 09 2009

